2月13日(土)18歳選挙権へ!若者の参画・教育をどう進めていくか~国内外の実践例を参考に~
参加しました。
個人的な繋がりで、参加させていただいた今回の勉強会。
ゲストには、特定非営利活動法人Rights(ライツ)の副代表理事、西野偉彦さん。
改正公職選挙法の成立により、2016年夏の参議院選挙から18歳の高校生から投票が可能になります。それを受けて今(今さら、という人もいますが)日本の若者の政治参画意識について、改めて考えていかなければならない。
ということで、今回の勉強会もホットワード「18歳選挙権」をテーマに、お話しをお伺いしました。
印象に残っていることをメモ。
① ドイツのお話
ナチス台頭の反省から、ドイツは政治教育に早くから国を挙げて取り組んでいるとのこと。例えば、ベルリンのパンコウ区。
選挙を行う9日前に模擬選挙を18歳未満の子どもが行うそうです。
選挙のことを学ぶ教材や資料は自分たちで調べて作成する。
政治に関心のない子供も巻き込んでいくために、投票箱の作成コンテストを開く。
自分たちで政党を作って議論をする。
そして、模擬投票の後にオンライン選挙特番を流して結果を発表する。など
「何を学ぶべきか」というところから考えさせる。ということを、国全体でやっていると。
また、「国としてどのような政治教育を行うべきか」を考え、提案していく「連邦政治教育センター」の存在。
政治教育における中立性を保つために、各政党から2名づつセンターに入ってチェックを入れるという。もちろん、政党に所属していない有識者も。
そして、民間の機関として「生徒会支援協会」というものがあるそうな。
学校の意思決定機関である「学校会議」(校長、生徒4、教員4、保護者4、外部1名で構成される機関)での発言や提言にアドバイスをしたり、定期セミナー研修を開いたり。寄付文化のあるドイツならではの民間の機関。
この協会のサポートの例として・・・
入試の基準に「内申点」を入れようとした大学に反対意見を述べ、生徒会が署名を集め、それを協会がバックアップを行い、なんとその基準を撤回させたという。
上から下へ、の私が見てきた日本の教育現場の姿とは、根本的なところから違うな、というのが素直な感想でした…。
お話しをしてくださった西野さん。
ドイツでうまくいっています、だから日本でもやりましょう。という安易な考えではなく、日本に合わせたプログラムをつくっていくべき、というお言葉に何度も頷き、
でもじゃあ一体全体どこからどうすればいいんだろうな~と、考えこんでしまいました。
②慌てて作った?「副教材」
http://www.soumu.go.jp/main_content/000386873.pdf
「18歳選挙権」を受けて、「主権者教育」なるものがスタートしています。
私のつとめる学校にも、届きました。この副教材。
どんなことが書いてあるんだろうな~という自分の興味はさておき、ぱっと見て思うことは「内容が結構ボリュームがあるな」ということと、「これをやれる時間ははたして作れるのか?」という疑問。
今回の勉強会を聞いて、なるほどなと納得したのは、「今は過渡期」であるということです。だから、「まだはっきり言うのはちょっと・・・」というところは、ぼやかしているなというのは思いました。
例えば。「政治的中立性」という言葉が頻繁に聞かれます。「学校の先生は、政治においては中立的な立場で発言をしてください」ということ。
じゃあ、どこまでがありで、どこまでななし?という質問に対しては、明確な答えはありません。「学校の先生で話し合って決めてください」というのが、現状。
次の学習指導要領に入ってくる「公共」に向けて、まだまだ議論がされていないからだとは思うけれど、18歳選挙権はやってくる。そして、今の高校二年生のうち、半分近くの生徒は、投票に行く。
いやあもう、不安です。非常に、不安。
トップダウンの激しい日本の教育現場で、これをどうやって指導していくのか。
「矛盾だらけの主権者教育」にならないのだろうか?
何から始めればいいのか?
「主権者」のあるべき姿って何なのか?
どうなりたいか、がはっきりしないままことをすすめるのは、行き当たりばったりになってしまいかねない。
③ やっぱ歴史は大事
紹介していただいた、「社会的意思決定学習プログラム」
「身近な問題」のなかでも「限られた資源の分配」をテーマに討論が進むこのプログラム。(例:生徒会の予算の分配方法は? 校庭をどのように分けて使用するべきか?など)
「政治的リテラシー」を高めることを目的に開発されたこのプログラムを試験的に実施した結果、「身近なテーマ」を意思決定のプロセスに沿って議論を進めていくなかで、「実社会の問題」に応用しようと考えている生徒が多い、ということがわかったそうです。
例えば、
・防衛費の問題
・年金受給年齢引き下げの問題
・難民問題
・2020年オリンピックの費用
・米軍基地移設問題
などなど・・・関心のあるトピックに対する「限られた資源の分配」問題。
でも、これってやっぱり、地理や歴史を知らないと考えられないなと思いました。
そもそもなぜ米軍の基地が日本にあるのか?
難民はなぜ生まれてしまうのか?
オリンピックはいつから何のためにはじまったのか?
防衛費を高くしたことで国は守れるのか?
など。 歴史教育の重要性もまた、感じるのです。
最後に。西野先生のお話しで印象深かったことば
「若者は、”次の世代”ではなく、”今の社会”を作っている」
少しずつでも、できるところから、伝えていきたいと思いました。
タイトルの意味
これ。
皆さんがよく知るLINE
この戦略が私はとても好き。
この記事で出てくる3つのキーワード
- BEYOND LINE(LINEはLINEを超える)
- Replace(リプレイス、置換)
- No.1 Closed Platform(世界No.1)
この中でも、「Replace」は秀逸。
だって実質、これまでの電話やメールの機能を LINEが導入されることで「置き換えて」(乗っ取って)しまったわけで。
でも、「知っている相手と話す」「文字のやりとりをする」という
根本的なところは、しっかりと守られているという。
保守的な側面もあるのが、いいなと思う。
「全く新しいコミュニケーションをとりましょう」
と言われると、絶対に え、って なる人はいると思う。
教育の現場も、そうなのかな、と思う。
「改革をする」というのは、批判が出やすい。
これまであったものを否定してしまいかねないし。目の前の子どもたちにとって大切なものが失われてしまうかもしれない。
その点「置き換える」は、違う。
「大切なもの」を失わずに、「もっと便利になる」とか「もっと早くできる」そして「余った時間で別のことをする」とか、「新しいサービスが必要になる」とか。
今まであったものが、より目の前の子どもひとりひとりにとって、より良く提供できるようになること。
それが、「置き換え」であり、私の好きな言葉「Replace」。
中世の話を子どもたちと一緒に勉強していると、これだな~と思うことがたくさんあります。
京都と鎌倉、という二つの中心地ができたことによって、これまでお米や特産物を年貢として運んでいたわけだけど、頻繁に行き来するには遠いし、なにより重い。
だから、(一度流行ったけど廃れてた)「銅銭」が輸入されてきて、大流通したわけで、
でも、そうなってくると、次は貨幣さえも重たいし、ずっとじゃらじゃらと持っているのは危険。
だから、「為替」みたいな「信用取引」のようなものが流行る。
価値があるとはいえ、ぺらっと一枚、危険も少ない。
また、最もかんたんに儲かる商売がでてくる...そうです、「お金を貸す」高利貸し。
病気の家族のために、お金をかりる、なんてことも...
また、日本中の特産物がこれまで年貢(お米以外は公事といいます)として都に集まっていたけれど、それが、代銭納制のおかけで、地元で売り買いするようになる。
地方で、市場が活性化する。いわゆる、常設の「お店」ができたのもこの頃。
新しいサービスが、生まれる。
でも、ただ 変わらないのは
年貢として納める とか
これとこれ、同じ価値だから交換ね という
根本的な”等価交換”という大切な法則からは逸れていない。
「置き換える」
これまでの素晴らしいものの精神や、構造を少しずつ新しいやり方で置き換えながら、
教育がもっともっとよくなったらいいな。
そんな願いが込められている、タイトルでした。
※歴史認識には諸説あります。
2月7日(日)インクルーシブ教育実現のアクションプランを考えよう@LITALICO本社
参加してきました。
今の現場に入ってから1年間、仕事、仕事、仕事…という毎日で、土日の休みもなく、こういった勉強会にあまり参加できていなかったので、また少しづつ自分のキャパの範囲でやれることをやっていきたい、と 思い、参加させていただきました。
久々に会う野口さんやあっきーが、とってもキラキラして見えて、私はこの一年間 何も成長できてないな…と、落ち込みながらも、自分にできることからやってみようという気持ちをチャージできました。
お話しを聞いて感化されたことを3つ、メモ。
仕事で遅くなってしまったため、15時半ごろに到着し、野口さんの基調講演と、前お二人の講演はお聞きできませんでした・・・残念。
3つ目の登壇者の方お三方のお話しは、じっくりと聞くことができました。
司会のきむらあっきー。 久しぶりに見たら、刈り上げになってた。
1
「手段と目的って、わかりにくいけど、その区別は大事だよね。」
というお話。 グループワークで話題に上がりました。
例えば。実践報告の中で「成績を1から2にすることを目標に」というお話がありました。1では、入れる学校が限られてしまうからです。(当たり前かもしれませんが)私はここに少し違和感を感じて、
「そもそもなぜ1ではなぜだめなのか?」とか
「2にして高校に入れても、そのあとの支援はどうなのか?」とか
「そこに執着すると、本来その子のニーズに合わないのでは?」とか
いろいろと。これについて話題を出してみると
「1から2にすることによって、進路の選択肢が広がる」
という視点で考えてみると、またその違和感は変わってくるかな。と。
なるほど、納得。でした。そりゃそーだと。言われてしまいそうですが
成績を1から2にする ということは、目的ではなく、手段で
目的は、進路の選択の幅を広げること。でした。
手段と目的の違い。これはなんのケースにも当てはまるなと思って
アクティブラーニングをやりましょう。言語活動をしましょう。
それは、手段?目的?
その目的は、場合によって違うと思う。
「学力を上げること」「多様な他者とコミュニケーションをとること」「居心地の良い授業空間を作ること」
自分のなかではこれが目的。で、そのための手段として、話したり、表現したり、ふせんを使ってみたり、意見を交換したりする。(でもこれを生徒にちゃんと説明していないと、全然うまくいかないですよね・・・。)
もちろん、「話すこと」が目的になる場合もあると思う。
大事なことは、子どもがどうなのか、どうなってほしいのか、というところから話がはじまるのかな?と、思います。
ICTにしても、合理的配慮にしても、そう思います。
2
「理解する」という言葉について。
相手を理解し合える…という言葉をたくさん見聞きしていて、これは、本当にいつもそう思うのですが、「理解する」って、猛烈に難しいですよね。
平田オリザ先生の「わかりあえないことから」という本に感化されているのかもしれませんが、私は「理解」はむしろできなくてもいいと思っています。
全然話が逸れますが、ある人に 自分の好きなものについて熱弁していたことがあります。私的には、その人にもその良さを理解してもらいたいなという気持ちがありました。
相手は言いました。「それはちょっと理解できない」
ばっさりと。あらら・・・でも、そのあとに続く言葉は
「でも、あなたがそういうのが好きってことはわかった。」
と。
なんだか、この言葉はとっても嬉しかったことを覚えています。
自分の話を聞いてくれて、相手は自分の好きなものについて「知っている」という状態。「理解」はしなくても「知って」いれば、できることがあると思います。
相手の気持ちを理解しよう。共感しよう。一緒になって悩もう。 素敵なことだと思います。でも、それってすごく難しいと思います。だって自分がこれまで経験してきたことと違うことを経験している人の感情を理解するわけですし・・・。
だから、「知る」こと。これは、なんとかなります。ちゃんと知識として持っていること、です。
自分はまずこれを目指したいと思うし、自分が接する子どもたちにも、「相手を理解できない」と悩む人に一人でも、伝えていけたらなと思います。
3
りたりこの方とお話をして思ったこと。
この企業で何を学び、何を果たしたいかというビジョンが明確すぎて、みんな、本当にかっこいい。そんな人ばかりの素敵な会社だなと思いました。
私がお話をした方は、りたりこで学んだことを生かして、いつか音楽教室をやりたいと言っていました。
みんなが好きなものを好きだっていったり、楽しんだりする権利を持っているはずでも、それを叶えてくれる場所って、自分が健康で前に進んでいなかったらなかなか見つからないと思うし、自分から発信するのも怖かったり、だったらこのままでいいやって思ってしまったり。そうやって諦めてしまうのって多いのかなあと。
音楽は好きだけど、ピアノを習ってみたいけど、落ち着きがなくてどの先生にも断られてしまう。なんて子がいたら。きっと、今日会った方のような先生に出会えたら、お互いにはっぴーすぎる。 そんなことを思いました。
いろんな方がいらっしゃいました。高校の先生もいらしていましたし、お医者様や、教育委員会の方、とある学校の副校長先生、行政関係の方、大学生。などなど。
いろんな方とお話をしていきながら、「こうしたい」という勇気がわいてくる時間でした。
主催してくださったスタッフの皆さま、お話ししてくださった参加者の皆さま、本当にありがとうございました。
明日からまた頑張りましょう。
そういえば鈴木香音、卒業かー…。悲しい。
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/503750/